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東京の富士山(1)

最終改訂:2003. 1.26(前回:2002.10.27)

 東京には「富士山」が沢山あります。と言っても,決して,公衆浴場の内部の絵等ではなく,本物の山です。もっともこれらは,いずれも神社やお寺の境内に築かれた人工的な山や境内にあった小さな山の形を変えたもので,富士山信仰「富士講」の遺跡とでも言うべき「富士塚」のことなのですが。そして,これらは少しでも富士山に似せるために,山肌は溶岩で覆われていることが多いです。
 この富士塚は都区内だけで58山以上が現存するようです(23区以外の都内にも14山以上,そのほか,神奈川県や千葉県にも多数存在するようです)。一部の山は上まで自分の足で登ることもできますので私は登っていますが,柵で覆ってしまって登れなかったり,あるいは登山禁止の札が出ている山もあります。
 一方,消えてしまったものとしては,茅場町富士(中央区・日枝神社,1818〜1830年築造),八丁堀富士(中央区・岡崎町不動),鷺宮富士(中野区・御岳神社,1818年再築),松原富士(世田谷区,1932年築造),目黒元富士(目黒区,1812年築造),目黒新富士(目黒区,1819年築造),穴守富士(大田区,1901〜1905年築造),深川八幡富士(江東区・深川富岡八幡宮,1819年築造),深川神明富士(深川神明宮・江東区),岩富士(江戸川区,1877年築造)等があり,内,深川富岡八幡宮,深川神明宮には行きましたが,確かに見あたりませんでした。

 この富士山(富士塚)を研究している人達は結構いらっしゃるようで,”平野栄次郎著「東京都の富士塚」”,”三浦家吉著「滅び行く富士講と富士塚」(1975)”,”神奈川大学・日本常民文化研究所調査報告「第2集 富士講と富士塚 -東京・神奈川-」(1978)・「第4集 富士講と富士塚 -東京・埼玉・千葉・神奈川-」(1979)”,”富士市立博物館編「富士見十三州 富士塚調査報告書」(2000)等が出版されており,また,インターネット上のホームページの他,パソコン通信の@niftyのFYAMAP(山と地図のフォーラム)の2番会議室「富士山の広場」にて,都内のほか,関東地方のものが調査されているようです。

 私は主としてインターネット上の情報のほか,雑誌「新ハイキング」(2000.2号)中の秋元三郎氏による33山の記事等を参考として,各地の富士塚に行き,写真を撮りました。神社内の富士塚の位置,高さ,駅からの神社の位置等は私の目測ですが,築造・移築等の歴史的事項,住所に関しては,「富士見十三州 富士塚調査報告書」,インターネット上の情報,新ハイキングの情報,現地での案内板,パソコン通信@niftyのFYAMAPでの研究成果等を参考とし,私の判断で書かせていただいております。また,寺社内での位置,高さ,状態,駅からの方角と距離等は私の目測等で書いてあります。写真は当初はデジタルカメラ「東芝:PDR-2」を使いましたが,これは固定焦点のものでしたので,画質はあまりよくありません。その後,「フジ:FinePix4500」に替え,画質も良くなりました。


<2001.11.11追記>
 2001.10.31付にて,私のホームページをご覧になられた「富士信仰研究会」の中嶋という方から,2001.10.31付のメールにて,水稲荷神社内の「高田富士」は社務所の裏にあり,私は高田富士と思っていた本殿の後にある山は「富塚」という古墳である旨のご指摘をいただきました。驚いて,早速,2001.11. 3(土)に現地に確認に行ったところ,中嶋さんの書かれた通り,本殿の後にあるのは「富塚」(たたし,ここにも石祠が幾つかあります)で,「高田富士」はこれとはかなり離れた別な場所にありました。ここは普段は入れない所にあり,余程注意しないと見つけることは困難で,神主さんに聞いて,ようやっと見つけることができました。中嶋さん,私の間違いをお教えくださいまして,どうも有り難うございました(以前の写真は富塚だったので,正しいものに替えました)。

<2002.10.27追記>
 1964年に破却された「富岡八幡富士」が2002年に再建され,2002.7.1に清祓式が行われたそうです。私はこのことを2002.10.14に富岡八幡宮に行き,知りました(境内の北西の端に作られました)。



鉄砲州富士(鉄砲州稲荷神社)
[1936年移築・溶岩製,高さ約3m]
東大久保富士(西向天神社)
[1925年再築・溶岩製,高さ約4m]
新宿富士(花園神社)
[1967年移築・溶岩製,高さ約1.5m]
東京都中央区湊1-6-7
(地下鉄日比谷線八丁堀駅・南東400m)
東京都新宿区新宿6-21-1
(JR新宿駅・北東1200m)
東京都新宿区新宿5-17-3
(JR新宿駅・北東700m)
本殿の右奥。頂上まで道があり、登ると石祠有り。1790年築造後,1874年,1895年,1928年と神社の移築と共に,鉄砲州富士も移築された。1936年の修築後の修復・改築された可能性が高い。 本殿の右側の公園内。前には金網の柵があり,中に入れないので,後の石段付近から撮影した。1842年築造,1925年再築。その後の修復・改築の可能性が高い。 境内の入口付近。小さいので,見落としやすい。
1928年築造,1964年新社殿造営と共に壊され,1967年境内を移動して現在地に移築。
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成子富士(成子天神社)
[1920年天神山を改造・溶岩製,高さ約12m]
音羽富士(護国寺)
[1989年修築・一部溶岩製,高さ約7m]
駒込富士(富士神社)
[1629年古墳を改造,高さ約7m]
東京都新宿区西新宿8-14-10
(JR新宿駅・北西1000m)
東京都文京区大塚5-40-1
(地下鉄有楽町線護国寺駅・北150m)
東京都文京区本駒込5-7-20
(JR駒込駅・南東600m)
本殿の左奥。12/31夜中〜1/7 のみ登れる。本殿のあたりからはほとんど見えず。本殿に向かって右側の境内外の境内に沿った道を30m程進んだ駐車場より見ることができる。登山口は2ケ所あり,表口の方には石の鳥居と木造の祠有り。セメントの表登山道を登ると,お中道に達し,それより,階段形式の溶岩道を少し登ると更にもう1つの半分位しかないお中道有り。更に,階段形式の溶岩道を登ると,頂上に達する。下から頂上までの途中に富士講碑が5つ有り。頂上は4畳弱の広さで,高さ1.5m位の木花咲耶姫の白い石像と小さな石祠有り。裏登山道は階段形式の溶岩道。なお,登山道及びその近くに高さが1m以上ある七福神の石像が合わせて7つ有り。本富士山は改造後の修復・改築の可能性が高い。 本堂前の石段右下の石橋を渡った所。斜面に登山道があり(登山道は途中で分かれ,都合3本が頂上まで行く),また,向かって左の山肌に多数の石碑有。なお,頂上と言っても山の形にはなっておらず,単に斜面を登るもので,頂上には石祠有り。頂上付近の一部に溶岩有り。「一合目」と書かれた石の棒杭が有り。
なお,本山は1817年,境内の西の方に築造されたが,1885年に現在地に移築され,1989年修築された。
頂上に神社の本殿があり,石段を登って礼拝する。本富士山は古墳跡で,1400年以前より「富士山」と呼ばれていた。1629年に山の上に現在の東京大学のあたりにあった「本郷本富士」を移築した形で神社が建立。
なお,帰りは石段ではなく,向かって右側に緩やかに下る坂道有り。
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下谷坂本富士(小野照崎神社)
[1828年修築・溶岩製,高さ約5m]
田端富士(田端八幡神社)
[1925年移築・溶岩製,高さ約2m]
千住宮元富士(千住神社)
[1936再築・溶岩製,高さ約3m]
東京都台東区下谷2-13-14
(地下鉄日比谷線入谷駅・北西200m)
東京都北区田端2-7-2
(JR田端駅・南西300m)
東京都足立区千住宮元町24-1
(JR北千住駅・西800m)
本殿の右隣。柵の中にあり, 1/1,6/30,7/1のみ中に入れて,登れるとのこと。1728年に築造,1828年修築,その後に修復・改築の可能性が高い。なお,6/30,7/1は「お山開き」で,特に7/1は富士講の人達が来るとのこと。6/30に頂上まで登ったが,道は九十九折りとなっていて,水平に近い上り。頂上はやや広いが,石碑や石祠等は見あたらず,鉄の棒が立っているだけ。裏側にも道がある。 参道の途中の右側。石段を登って,頂上近くまで行ける。以前は田端駅南口の不動坂を登った辺りにあったが,山手線工事により1925年現在地に移築。毎年2/20に「富士講の初拝み」が実施されるとのこと。 参道の途中の右側。金網の柵での中にあり,入れない。1923年築造,その後地震で崩れ1936年再築。その後の修復・改築の可能性が高い。
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池袋富士(氷川神社)
[1912年再築・溶岩製,高さ約5m]
十条富士(富士神社)
[1912年再築,高さ約5m]
豊島長崎富士(富士浅間神社)
[1862年築造・溶岩製,高さ約8m]
東京都豊島区池袋本町3-14-1
(東武東上線下板橋駅・北西400m)
東京都北区中十条2-14-18
(JR東十条駅・南西250m)
東京都豊島区高松2-9
(地下鉄有楽町線千川駅・東600m)
本殿の左側。柵の中にあり,入れるが登山禁止。登山道には一合目,二合目と小さな碑があり,お中道まである。頂上に石祠有り。築造年は不明だが,1912年に再築。その後の修復・改築の可能性が高い。 本殿無し。石段を登ると,石祠有り。1814年築造。1912年再築。古墳を利用したものらしい。その後の修復・改築の可能性が高い。 「高松富士」とも言う。金網の中に有り,入れない。国指定の重要文化財。都内随一と思うほど素晴らしい形。溶岩は頂上部のみ。石祠内は大日如来像。古墳を利用したものらしい。築造後の修復・改築の可能性が高い。「高松富士」とも言う。
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亀戸富士(亀戸浅間神社の跡地)
[2000年頃修築・一部溶岩製,高さ約1.5m]
安養富士(安養寺)
[1884年築造・溶岩製,高さ約3m]
船掘富士(日枝神社)
[1892年築造・溶岩製・高さ約2m]
東京都江東区亀戸9-15-7
(地下鉄新宿線東大島駅・北800m)
東京都江戸川区平井6-53-1
(JR平井駅・北東800m)
東京都江戸川区船堀6-7-23
(地下鉄新宿線船堀駅・南東600m)
亀戸浅間神社の境内の北隣の公園(2001年現在整備中)の中。本殿の前左にある大きな鳥居の奥の大きな木が生えている小高い所。境内からは直接入れず,整備途中の公園入口より入り,3ケ所にある階段を登る。頂上部は結構広い平らな場所で,柵で覆われている。また,裾部の2ケ所に富士講碑や猿の石像有り。
なお,本富士山は1661〜1672年築造され,「本所富士」とも言う。本神社は、昭和に入って,当時高さ4m程あった富士塚の頂上部分を崩して土盛り1m程の上に,建てられたが,1997年,この地域の再開発のために本神社の境内が南隣に移動し,神社も移動した。しかしながら,富士塚は移築されず,発掘が行われ,幾つかの遺物が出土した。この元境内は整備されて公園となり,富士塚も整備されるとのこと。
なお,写真では前景にこれを配し,その奥が本殿。また,境内と公園との間に,大昔にこのあたりを走っていた鉄道の廃線跡有。
山門を入ってすぐ左。石段あるが、柵のために登れず。頂上に石祠有。1884年築造。築造後の修復・改築の可能性が高い。 本殿の左奥。石段を登ると,石祠有り。1892年築造。築造後の修復・改築の可能性が高い。
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逆井富士(浅間神社)
[1966年改築・溶岩製,高さ約4m]
平井富士(諏訪神社)
[1920年築造・溶岩製,高さ約1.5m]
高田富士(水稲荷神社)
[1965年移築・一部溶岩製,高さ約7m]
東京都江戸川区平井3-1
(JR平井駅・南800m)
東京都江戸川区平井6-17-36
(JR平井駅・北200m)
東京都新宿区西早稲田3-5-43
(JR高田馬場駅・東1100m)
本殿無し。石段を登ると,石祠有り。1886年築造,1966年改築。1884年再築との説も有り。 本殿に向かってずうっと左。石段を登ると石祠有り。1920年築造。築造後の修復・改築の可能性が高い。 早稲田大学西早稲田ビルディングに面した入口より入り,石段を登った右側に長い白い平屋の建物があり,その奥が高田富士。その建物が過ぎた所を右折すると門があり,それ以上は入れないが,木造の浅間神社とその後ろに高田富士が見える。ここは7/20付近の2日間の「高田富士祭り」の時のみ登山可能。浅間神社を右に見て7m程行った所が登山口で,石段を登ると頂上は2畳位の平らな場所で,石祠有り。
高田富士は1779年築造,以前は現早稲田大学商学部の敷地内にあったが,早稲田大学の建物ができた1965年に移築。水稲荷神社は高田稲荷神社とも言い,以前は宝泉寺の境内で,高田富士の前にあったが,早稲田大学建設の為,1965年に現在の所に移築した。また,本富士山を「富塚富士」と呼ぶのではという人も有り。
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神田柳森富士(柳森神社)
[1930年再築・溶岩製,高さ約3m]
白髭富士(石浜神社)
[1990年代再築・溶岩製,高さ約4m]
千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社)
[1924年再築・上部溶岩製,高さ約7m]
東京都千代田区神田須田町2-25
(JR秋葉原駅・南200m)
東京都荒川区南千住3-28-58
(JR南千住駅・南東1100m)
東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
(JR千駄ヶ谷駅・南400m)
入口の下り階段の右側。岩なので,登れないことはないが,階段より上部は見える。1838年以前に現在の神楽殿のあたりに築造。1930年築造後の修復・改築の可能性が高い。 本殿に向かって右側。柵はないが,上に登る道等は無し。1758年築造,1954年消滅。1990年代に再築(非常に綺麗なので,ごく最近築造したと思われる)。なお,説明板には「富士山遙拝所」と記載されている。 本殿に向かって左側。石橋を渡り,石段を登ると石祠有り。なお,頂上への道は2ケ所あり,お中道まである。築造後の修復・改築の可能性が高い。1789年築造,1924年再築。なお,1573〜1591年に築造されていた可能性も有り。
1918年頃の亀戸浅間神社[撮影:牧野和夫氏]
(富士塚の上に浅間神社の本殿があります)
江戸時代の高田富士
(高さ約10m)


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