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東京の富士山(3)

最終改訂:2001.11.11(前回:2001. 7. 8)

 前述のごとく,私の場合は,「新ハイキング」という雑誌の記事とインターネット上の資料により都内の富士山をまわっていましたが,幾つかの富士山が住所不明でした。しかしながら,都内・目黒区にお住まいの仲野氏よりメールをいただき,足立区の「島根富士」が「島根鷲神社」内にあることを確認したこと,練馬区春日町の「丸山講富士」が私がもしかしてそうではないかと思った通り,寺社の境内ではなく,丸山講が発展してできた丸山教の信者の方(故人)が自宅の庭に作ったものであったこと,また,富士山には庶民の「富士講」のもの以外に,大名屋敷の庭園内の富士山があり,現存しているものだけでも5つはあることを教えていだだきました(ただし,都内で山の形になっているのは,小石川後楽園の富士見台,六義園の藤代峠,浜離宮庭園の富士見山のみのようです)。仲野さん,どうも有り難うございました。
 更に,これとは別に,@niftyの「映画フォーラム FMOVIE」の「ミキパパ」氏から,「山と地図のフォーラム FYAMAP」で私のホームページが取り上げられていると教えていただき,早速アクセスしてみると,シスオペの「田代」氏が私のホームページを富士塚を取り上げているとのことで紹介されていました。このフォーラムの有志で数年前より関東一円の富士塚(富士山)に関し調査をしており,その成果もデータライブラリーに登録されているほか,会議室のログにもなっていました。早速,「田代」氏と,富士塚に関し活発に調査されている「ふじ」氏にメールを差し上げ,ふじ氏から色々と教えていただきました。そして,最終的に,(1)「板橋氷川富士」と「板橋富士」は同一であり,氷川町にある方が「板橋富士」であること。 (2)私が「板橋富士」と思った東新町の方は「富士塚」ではなく「榛名塚」と考えられること。 (3)花園神社にある仮称「花園富士」は「新宿富士」であることが判明しました。
 また,「ふじ」氏に教えていただいて入手した富士市立博物館発行「富士見十三州 富士塚調査報告書」は実に素晴らしい本でした。しかしながら,それによりまだ行っていない富士山が9もあることが判明しました。この本は2001. 5.23に入手したのですが,それまでは現存しているものは全部行ったと思っていたのが脆くも崩れてしまいました。



保木間富士(保木間氷川神社)
[1985年修築・溶岩製,高さ約5m]
花又富士(花畑浅間神社)
[1874年改築・溶岩製,高さ約5m]
品川富士(品川神社)
[1922年移築・溶岩製,高さ約15m]
東京都足立区西保木間1-11-4
(東武伊勢崎線谷塚駅・南2100m)
東京都足立区花畑5-10-1
(東武伊勢崎線谷塚駅・南東1000m)
東京都品川区北品川3-7-15
(京浜急行線新馬場駅・北西300m)
本殿の右奥。岩道あるも「登山禁止」の標識有。頂上に「榛名神社」と書かれた石祠有。1876年築造の「榛名塚」を1936年改造。1985年に修築。 本殿無し。コンクリート製の階段を登り,更に石段を登ると,石碑有。石段の登山道は全部で3本有。築造年不明。1821年修築,1874年改築。古墳を利用して作ったらしい。修築後の修復・改築の可能性が高い。「花畑富士」とも言う。 大通りより石段を半分程登った所及び石段を登りきった平らな品川神社の境内の2ケ所より石段を登って頂上まで行くことができる。9合目付近に石祠有。
「馬込富士」が1869年に移築しされたが,神仏分離で破壊され,1872年再築。1922年小山の斜面の上に移築された。その後に修築・改築の可能性が高い。
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羽田富士(羽田神社)
[1879年移築・溶岩製,高さ約3m]
多摩川富士(多摩川浅間神社)
[1829年築造・一部溶岩,高さ約15m]
目黒富士(上目黒氷川神社)
[1977年改築,高さ約15m]
東京都大田区本羽田3-9-12
(京浜急行空港線大鳥居駅・南600m)
東京都大田区田園調布1-55
(東急東横線多摩川駅・北70m)
東京都目黒区大橋2-16-21
(東急新玉川線池尻大橋駅・北東500m)
本殿の左奥。2ヶ所ある石段を登ると,頂上に石祠有。正面以外は竹垣で囲われている。1834年現在の神楽殿のあたりに築造。1879年?移築。その後の修復・改築の可能性高い。 坂道を登り,更に両側に溶岩が置いてある石段を登ると,頂上に広い境内があり,更に赤く大きな本殿がある。多摩川側には展望台もあり,晴れていれば,富士山が見えるのかもしれない。境内は道からは15m位の高さで,古墳の上に作られたとのこと。「田園調布富士」とも言う。 氷川神社への石段は大通りに面した中央付近にあるが,「目黒富士」としての登山道入口は左隅のビルとの間にあり、それを登ると氷川神社の境内に達する。なお,最初の目黒富士は1812年に目切坂上に築造されたが(目黒元富士),その破却後,別所坂に再築され(目黒新富士),その破却後,頂上にあった石祠が小山の上にある氷川神社に移動された。そして,1977年に氷川神社に登山道が作られ,この山を目黒富士と呼ぶようになった。
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板橋富士(氷川神社)
[移築・一部溶岩製,高さ約4m]
下赤塚富士(諏訪神社付属地)
[1882年再築,高さ約5m]
上赤塚富士(氷川神社)
[1876年築造・溶岩製,高さ約2m]
東京都板橋区氷川町21-8
(地下鉄三田線板橋本町駅・南400m)
東京都板橋区大門5
(地下鉄三田線新高島平駅・南西900m)
東京都板橋区赤塚4-22-1
(地下鉄三田線西高島平駅・南西900m)
本殿より20m程前の右側。左右に石段があり,左側の石段を登るとY字路となり,左に行くと木の祠,右に行くと頂上に石祠。なお,右側の石段を登ると天祖神社の祠がある。1855年築造,道路拡張のため,移築されたらしい。移築後の修復,改築の可能性が高い。 諏訪神社(大門11-6)の門を出てそのまま50m程南下した空地内。土の道を登ると頂上に石祠有。築造年は不明だが,1882年再築。築造後の修復・改築の可能性が高い。 本殿の左奥の盛り土の山。石段を登ると頂上に赤く塗られた石祠有。古墳の転用の可能性有り。築造後の修復・改築の可能性が高い。
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江古田富士(茅原浅間神社)
[1924年修築・溶岩製,高さ約8m]
− (氷川神社)
[高さ約1m]
大泉富士(八坂神社)
[1874年築造・一部溶岩製・高さ約10m]
東京都練馬区小竹町1-59-2
(西武池袋線江古田駅・北100m)
東京都板橋区東新町2-16
(東武東上線ときわ台駅・南西700m)
東京都練馬区大泉1-44-1
(西武池袋線大泉駅・北東2700m)
本殿の右奥。国指定重要文化財とのことで柵の中にあり,登れない。頂上には石祠(?)有り。1838年築造,1924年修築。修築後の修復・改築の可能性が高い。 本殿の右前。石段を登ると頂上には榛名神社と太宰府天満宮の石祠有。なお,氷川神社自体の境内は石段を登った所にあり,周りより4m程高い場所にある。茅原浅間神社は本神社の末社とのこと。
当初,ここを住所不明であった「板橋富士」とし,氷川町の方を文献通りに「板橋氷川富士」としたが,@niftyのFYAMAPの「ふじ」氏によると,本富士山は「富士塚」ではなく「榛名塚」であり,「板橋氷川富士」と「板橋富士」は同じものであるとのことから,ここは富士山から削除することとした。
階段を登った上にある本殿の右側の小高い山。頂上への何本もの内の道の1つを選んで登る(道は実際の富士山に似せて化,ジグザグになっていました)と,上の方は道の両側に溶岩が置かれている。頂上は3.5×2.5m程の平らな場所で,石祠があり,ここは四方が見渡せる展望台となっている。
なお,1822年の石碑もあるとのことから,築造はもっと古い可能性も有り。いずれにしろ,築造後の修復・改築の可能性が高い。「中里富士」とも言う。
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大松富士(氷川神社)
[1835年築造・一部溶岩製,高さ約4m]
下練馬富士(富士嶽神社)
[1951年改築・溶岩製,高さ約5m]
島根富士(島根鷲神社)
[1988年再築・溶岩製,高さ3m]
東京都練馬区北町8-22-1
(東武東上線下赤塚駅・南東800m)
東京都練馬区北町2-41-2
(東武東上線練馬駅・南東200m)
東京都足立区島根4-25-1
(東武伊勢崎線梅島駅・北1400m)
入口石段の右側。登ると上部に溶岩有り。頂上には石祠。築造後の修復・改築の可能性が高い。「北町富士」とも言う。 本殿の左側。コンクリートの階段の後,溶岩製の道となる。途中には「○合目」の石柱のほか,石像も結構祭ってある。頂上には石祠有。なお,本富士山は明治前,1872年再築,1927年(修築。関東大震災で崩れたため),1951年改築(改築というより,移築の可能性が高い)。 本殿の左奥。登山道を登ると頂上に石祠有。元個人宅にあったのが,1932年島根鷲神社に移築されたが,1977年消滅。道路拡張に伴い,移築された形で1988年再築。
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白山富士(白山神社)
[1816年再築,高さ5m]
丸山講富士(篠田家)
[1931年築造・溶岩製,高さ約4m]
− (御霊神社)
[高さ約0.5m]
東京都文京区白山5-31-26
(地下鉄三田線白山駅・北150m)
東京都練馬区春日町3-19-19
(地下鉄大江戸線練馬春日駅・東300m)
東京都新宿区西落合2-17-17
(西武新宿線新井薬師駅・北900m)
本殿右の社務所の奥。鉄柵があり,6/10〜6/18の紫陽花祭りのお期間のみ入山可能。石段を登ると頂上に木祠(周りは更に木祠で覆われている)有り。築造年は不明だが,1816年再築。しかしながら,その後の改築又は修築の可能性が高い。鳥居には「浅間神社」と書かれており,また,鳥居とは反対側に富士講碑有り。 丸山講は後に丸山教となった宗教で,本富士山はその信者であった方(故人)が自宅の庭に作ったもの。練馬春日駅より大通りよりやや狭い通りを進み,水橋家の所を左折し50m程進むと左側に2本の石柱(2軒の家の間),その奥の鳥居をくぐると本富士山となる。狭い石段を登ると頂上に石祠有り。道は2ケ所あるが,途中で一緒になる。個人管理のためか,非常に美しい状態で保存されている。 鳥居をくぐってすぐ左。高さ50cm程の溶岩で周りを囲んだ盛り土の上に幾つか石碑があるが,いずれも富士講碑ではない。また,力比べを行った力石も置いてある。本殿の右に浅間神社等の計5社を祭った木造の神社もある。
以前,このあたりには「葛ケ谷富士」(1730年築造)があったが,戦後消滅したとのことから,周りの溶岩や盛り土はそれに関係する可能性が高い。
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 (氷川神社)
[溶岩製,高さ約1.5m]
伊興町富士(氷川神社)
[高さ約1.3m]
押上富士(小宮氏宅)
[1868-1912年築造・一部溶岩製,高さ約1.5m]
東京都新宿区下落合2-7-12
(JR高田馬場駅,北西500m)
東京都足立区東伊興2-12
(東武伊勢崎線・竹ノ塚駅,北西1200m)
東京都墨田区押上3-28-19
(東武伊勢崎線・業平橋駅,東700m)
本殿の前の手水場の右に,下部を溶岩で囲んでいる盛土有り。ただし,上にある石碑は消防碑。なお,本殿の右前に,浅間を含めた等の5つ合祀されている木祠有るが,富士講碑が見あたらないことから,これが富士塚でない可能性も高いが,溶岩があることから,富士塚を破却した残りの可能性も有り。 本殿の左前に,左より黒い小さな祠2つと大きな祠1つがあり,この大きな祠が高さ1.3m程の台の上に建っている。これが浅間神社だと思われるが,神社名は一切記載されておらず,境内隣の家及び参詣に来た中年女性に聞いても不明で,また,富士塚に関しても聞いたことがないとのこと。また,富士講碑は見あたらないことから富士塚と関係ない可能性も有り。当地には古墳が多数あり,富士市立博物館の報告書は,それと間違えている可能性も有り。築造年等不明。 小宮氏宅は歩道のある2車線道路より1軒奥に入った所。向かって左側より,木がものすごく茂っている庭,現在は住んでいない旧宅,新築の家となっており,富士塚は庭の最奥。庭は3方が高い塀で囲まれており,内,2方は駐車場に面してる。庭奥の所の駐車場の塀の隙間から富士塚の背後が見える。写真は石祠の後の部分で,その下は溶岩。「押上富士」は仮称。

<仲野氏からいただいた押上富士>

押上の小宮家の富士塚(押上富士)は塀のある庭の中にあり,その塀も高いために,外からは僅かな塀の隙間から石祠の裏を見ることができるだけです。このため,私は正面から見たことはありません。仲野氏は家に上げていただき,写真を撮りましたが,草木が茂っており,頂上までは見えなかったそうです。富士塚は庭の角の所で,両側に広がっており,その横幅は5〜6m,石祠を入れない高さは1.5m程度です。
下の写真は左側が(1)で,右側が(2)です。石祠は写真(2)の中の左側の上部にあります。


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