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坂東33観音巡礼(6)

最終改訂:1999.12.26(初回:1998. 6. 7)

第26番 南明山 清滝寺[茨城県 JR常磐線・土浦駅より寺前循環バス・寺前バス停下車・徒歩]

1998年11月21日(土)
 11月21日(土),先週にひき続いて,坂東33観音巡礼第18回目として,「第26番南明山清滝寺」に行ってきました。その時の様子です。

 朝6時に起きると空はまだ薄暗い。本日は晴れとの予報であるので,予定通りに出かけることとし,6:25家を出る。空はもう明るくなっており,雲は見えない。しかしながら,ここ2,3日の寒さがまだ続いている。駅のみどりの窓口に行くが,3連休のためか,珍しく先客が2人おり,そのオバさんが盛んに駅員に話かけて,どの列車に乗るのか決めようとしている。人が並んでいないならばともかく,並んでいる時にこういうことをされるのは全く迷惑である。時刻表を見れば,着きたい時間がわかればすぐに乗る列車は決められると思うのだが,この手のオバさんは調べるなんて気は全くないのだと思う。その上中小企業の関係者なのであろうか,会社の費用で落とそうというつもりであろうが,何と領収書を書かせている。このみどりの窓口には何回も来たことがあるが,初めて領収書を請求しているのを見た。

 結局,ここで10分程待たされてようやっと先週と同じ「ホリデーパス」(2040円)を購入し,ホームに入る。しかしながら,このオバさんのために,あわよくば上野駅発6:46発の平行普通列車に乗ろうというもくろみはくずれる(もっとも,6時台は山手線の運転間隔が10分以上あるのであまり期待していなかったのであるが)。6:43発の電車にて,上野駅に6:51に着く。先週乗った時よりは空いている感じで隣の駅で座れる。

 10番線ホームに行くと,まだ,列車は入線していない。6:55入線し,清掃後の6:59に乗れる。7:01,私の乗っている車両(ロングシート)には20名程度しか乗っていないガラガラの状態で,高萩行普通列車は発車する。既に太陽は出ており,空はやや白いが,それでも雲1つない快晴である。列車は駅に停まるごとに客を乗せて,ついに立っている人の方が多い状態となる。乗客の大部分は高校生である。今は期末試験か,勉強している者も多い。結局,高校生達の大部分は土浦駅まで乗ったままで,8:09土浦駅着く。

 高校生達の群れがノロノロ歩く中をイライラしながら歩き,8:14既に到着している寺前循環バスに乗る。8:15,乗客6名を乗せて発車する。寺前8:45着に着く(460円)。 バス停の時刻表を見ると,土浦行のバスは11:16の次が何と17:01で,その次が18:31となっている。すなわち,2時間半でここまで戻ってこなければ,5時間以上,バスがない状態になってしまうのだ。

 とりあえず,カメラを取り出す。本日は随分前に中古で購入したが,1回も使ったことがない一眼レフボディ「リコーXR-1000S」,先日と同じリコー45mmF2.8とコシナ24mmF2.8の組み合わせである。バス停のそばに黄色い実が沢山なっているミカン畑があったので撮影する。そして更に進む。まるでお城の入口みたいな大きな立派な門がある農家,私は農家でこれほど立派で大きな門は見たことがなかったが,まるで,京都のお寺の山門といってもおかしくないほどの門で門あるが,そして広い庭の奥には茅拭き屋根のこれまた立派な農家があるので,勿論,撮影する。ここは戦前は庄屋であったのであろうか。

 更に歩くと,両側とも観光果樹園が続く。9:20下佐谷に着く。どう考えても,もう,清滝寺への案内がないのはおかしいので,地図を取り出して下佐谷という地名を探すと,何と,清滝寺に行く道ではなく,その反対方向に歩いてしまったことがわかる。これはショックである。ここまで写真を撮りながらといっても40分は歩いている。この道を先程のバス停まで戻り,更に50分程歩かねば清滝寺に着かないのであるから,どう考えても11:16発のバスに間に合う筈はない。それでも帰るわけには行かないので,もし,それならば,先週行った筑波駅に行くバスが通っている道が南に1時間程の所にある筈だし,清滝寺だけではなく,その周囲,すなわち,小野小町の墓や東城寺を見よることにする。

 それにしてもどうしてこうなったかというと,寺前循環バスは今私が歩いている道を来たのではなく,循環との名の通りに,ぐるりと私がよくわからない道を通って寺前バス停に着き,私はそのバスの進行に進めばよいと思ったのだが,それが大きな誤解で,バスは大回りして寺前バス停に着き,そしてその進行方向は土浦方面だっというわけである。結局,西方向に進まなければならないのに,太陽が出ており,冷静になれば自分が西側ではなく東側に進んでいるのがわかるのに気がつかなかったのだ。バス停もいくつもあったのだから,そこで地図を出せばすぐにわかったのに,時間を惜しんで帰って時間がかかるという大失敗をしてしまったのだ。

 いずれにしろ,ここにいてもどうしょうもないので,今までの道を戻ることにする。9:51寺町バス停に戻る。ここより更に進み,10:07信号があり,清滝寺への道標がある通りを右折して更に進む。道の両側には柿畑連なっており,柿狩りができるとともに,幾つもの販売所が並んでいる。そらを見上げると,山の尾根から白いパラグライダーが飛び,上昇気流に乗って舞っている。見ていると,かなり長い間飛び続けているので,本日の気流は非常によいようだ。

 道はY字路となる,左に進むと, 10:30ようやっと本日の目的である「第26番南明山清滝寺」に着く。石段を少し上がると,もう黒っぽい朱色をした大きな木造の山門である。しかしながら,仁王像等の場所はあるのだが,像自体はない。更に石段を上ると本堂だが,ここは以前火災にあったためとのことで,鉄筋コンクリートのお堂である。ただし,一応は木造風な造りはしてある。また,本堂の左には木造の納経所,右には鐘突堂がある。ここもほとんど人が来ないお寺で,どうやら私みたく33観音全てを巡礼しょうという者のみのようである。私が30分弱の間に来たのは1組だけであった。

 ここで帰れば,ギリギリで寺前バス停発の11:16土浦行バスに乗れないこともなかったが,やはり折角来たので,周囲の寺にも行ってみることにする。10:58ここを発ち,清滝寺に向かって左に進む道,すなわち,西側に進む道を歩く。パラグライダーは先程は1つであったが,今や10程度が空に浮かんでいる。そうやら,ここはパラグライダーのメッカらしい。遠くの彼らが着陸している場所には,自動車が多数並んでいるし,あの山の尾根には自動車道路が走っているようなので,おそらく彼らは車で尾根まで行き,そこからパラグライダーで飛び,あそこに下りるようである。本日は穏やかで風もほとんどないし,また,暖かいので,飛び易い日なのであろう。

 11:15「小町の里」という農産物の即売即売所に着く。駐車場もあり,また,食堂もあるようで,その目玉として,大きな水車が動いている。ここに案内図があったので,これからどうしょうかと思って見ると,何と,最後に行く予定であった「東城寺」は平成10年火災で焼失と書かれている。それならば,そこまで行っても仕方がないので,日枝神社に行った後はひたすら南下して,筑波駅発車のバスが走っている通りに行くことにする。

 ここより,南に少し歩くと「小町の墓」の道標があるので狭い道に入り, 11:25小町の墓着。ここは嘘か本当か知らないが,平安時代のあの「小野小町」の墓なのだそうで,彼女は清滝寺をお参りしてこの地で亡くなったのだそうである。丸い石が組み合わされたお墓であり,石自体は古いが,とても平安時代のものとは思えないもので,おそらく江戸時代以降のものと思われる。しかしながら,そのそばの民家の庭の黄葉と紅葉が逆光気味となって非常に美しく,また家の形非常によいので,何枚も撮影する。

 ここでフィルムを使いきり,巻きもどすが,このボタンが少し壊れていることを発見する。ううん,これも1万円以下であったが,やはり,壊れている場所があったかとガッカリする。しかしながら,それ以外はファインダー内のゴミを除けばほぼ大丈夫のようである。このボタン部は修理センターに持って行くと,その部分の交換であるが,確か3000円ほどかかった記憶があるので,どうせ中古で買ったものであるので,プラリペアというHP-100LXを修理するのに適してる接着剤を使って自分で修理することにする。

 ここより更に南下し, 11:42日枝神社に着く。普通の木造の神社である。しかしながら私はこの神社の後側から入ったのであるが,前側の参道の両側には木がおいしげっている。「一の矢場」,「二の矢場」と書かれた立て札があり,どうやら,ここは馬場となっており,祭りの時には「矢さめて」を行うらしい。更に進むと,道はわけがわからなく曲がりくねり,ついにはこの道が終わってしまったので,仕方がなく東に行く道を進むと,先程清滝寺に行くのに歩いた道に出る。

 そして,しばらく歩いていると, 11:55停まっている自動車から「どこに行かれますか。乗って行きませんか」と声をかけられたので,「どこかのバス停まで乗せていただければ」と言って,これは「地獄に仏」とばかりに乗せてもらう。黙っていると悪いので,昨年より坂東33観音巡礼中で,残すところは千葉県の海岸寄りの3寺と栃木県の中禅寺の4つになったこと,お寺の写真を撮ってインターネットのホームページに乗せていること,秩父34観音巡礼はすんでいること,先日京都に行って西国33観音のお寺のうちの2つに行ったことを話す。乗せてくださった方は,実家がこの近所で,時々こちらに来ては,バス停より歩いて清滝寺に来た人を車に乗せていること,昔,父親が清滝寺で納経所で朱印帳に文字を書いていたことを話す。

 12:05土浦一校前バス停前にて,丁重な礼を言って下りる。それにしても,土浦駅に何時につけるかわからい状態だったのが,この方のおかげで道を間違えずに歩いた時とほぼ同じ時刻に土浦駅に帰れることになったので,全く,感謝,感謝である。やはり,これは観音様のご利益なのでしょうか。

 12:07土浦行バスに乗り,12:12亀城公園前バス停にて下りる(190円。勿論,座れました)。ここは現在は公園となっているが,本来は城跡で,一応,掘と櫓がある。掘の外側には柳が植えられており,その緑の葉を前景にして,掘と白壁の櫓を撮る。中に入ると,いつの時代のものだかわからないが,立派な木の大きな門がある。昼食と休憩を兼ねてベンチに座る。

 ここを12:48に発ち,土浦駅に13:00に着く。ホリデーパスを見せて中に入ると,既に13:08発上野行普通列車は入線している。そして,定刻にほぼ座席が埋まった状態で発車する(ロングシート車)。途中高校生達が沢山乗ってくる。

 14:17日暮里駅に着くが,帰るには早いので,ホリデーパスを生かして,中野駅近くのフジヤカメラに行き,3台目の「リコーXR-500」(ボディ+レンズ+説明書。消費税込8400円)を購入し,新宿駅南口に新しくタワーレコードができたとのことで初めて入り,オペラアリアのCDとオペラのVHSテープ(何と,ソフィア・ローレンが主役を演じているものです。勿論,歌は別な人が歌っていますが)を購入した後,ドイカメラ及びマップカメラの中古店を見てから(マップカメラにペンタックスの35〜70mmF3.5-4.5が7800円であったのでどうしょうかと考えたのですが,結局,購入しませんでした。先程買ったリコーのカメラに値段的ちょうどよいような気がしたのですが,やはり,持っているがあまり使っていないペンタックスの単焦点レンズをつけて使うことにしました),家に16:55に帰る。

 本日はバスを下りてから間違えた方向に進み1時間以上の無駄をしてしまいましたが(もっとも,その間に随分写真を撮ったので,全くぼ疲れ損というわけではなかったですが),最終的には自動車に拾っていただき,おかげさまで,ほぼ最初の予定通りの時間に土浦駅に帰ることができました。それにしても,バス停に書かれている時刻表が本当だとすると,11:16の次が17:01とはちょっとひどすぎます。あ,お寺が火災で燃えた後,付近の方々の努力で鉄筋コンクリートで再建されたことは知っていたので,千葉の千葉寺や銚子の円福寺の時程ガッカリすることはありませんでした。というより,よく,再建してくれたなあと感謝しております。

 それにしても,今年の坂東33観音巡礼はこれで終了で,残りの4寺は来年暖かくなってからに行こうと思っています。残っている千葉県の寺3つは,まあ,海岸近くですので,12月に行ってもよいのですが,日光の中禅寺湖そばの中禅寺は冬は寒そうで行く気が起きないもので。



第27番 飯沼山 円福寺[千葉県 JR総武本線・銚子駅より徒歩]

1997年8月30日(日)
 第28番滑川山龍正院に行った後,滑川駅に戻り, 10:34発の銚子行に乗り(こちらも座席の1/4程度の乗客),銚子駅に11:35着きました。

 ここより、20分程歩いて,飯沼観音着。まず,民家の中に朱色に塗られた木造の大きな山門がある。しかしながら,それが全く威厳や重みがない代物である。そして,門前市の土産屋数軒を通ると石の階段があり,その上の本堂は何と朱色のペンキを塗った鉄筋コンクリート造りで,屋根のみ瓦である。脇に大仏が入った木造のお堂があり,まあ,これは中の仏像のみ見られる代物。気がついたことは鳩が多いこと。このためか,本堂の賽銭箱より後がガラス窓になっており,本堂の中はそのガラス窓越しにしか見れないようになっている。また,木造のお堂の前には鉄格子状のシャッターがあり,その半分しか上げていない状態になっていて,ともかく,興を削ぐこと甚だしい。本堂の内部の脇には「おびんづる様」か,石か陶磁器で作られている座っている。ともかく,先程の滑河観音の素晴らしさとあまりの落差である。

 時間がかなりあるので,銚子港を見てから,昼食をとり,銚子駅 13:46発の千葉行に乗り(私の乗った車両の乗客数は何と2名),千葉経由で家に帰る。

1999年 8月12日(木)
 銚子電鉄犬吠駅すぐそばにある坂東33観音の番外「補陀洛山 満願寺」に行った後,家に帰るには早すぎるので,以前に行った第27番飯沼山円福寺に行くこととし,銚子駅より1つ前の観音駅にて下りる(11:10)。
 駅構内にはタイ焼きとタコ焼きを販売している店がある。なるほど,ここがよくTVで出て来る店なのかと思う。ここで,昼食代わりにタイ焼き3尾を購入する。結構,客が多く,流行っている感じである。駅より直角の道路を 100m程歩くと,第27番円福寺の太子堂がある。そこは行ったことがなかったので撮影する。そして,更に歩くと大通りがあり,渡るとそこが目的の第27番飯沼山円福寺である。

 境内に入ると,以前とかなり異なった感じである。記憶だと,境内には長屋風の店があったのだが,それが無くなって広々としている。そして,お寺自体も朱色に塗り直している。以前の暗い感じとは正反対となっている。また,本堂の前の大仏も以前は小さなお堂の中に入っていたと思うのだが,今は雨ざらしとなっている。ともかく,境内は広くなり,明るくなった感じである。しかしながら,参詣人だけは以前と変わらず相変わらずほとんどいない。太陽は出ており,白っぽいが青空なので,色々な角度から撮影する。

 十分に撮影した後,先程購入したタイ焼きを木陰に置いて有るベンチに座って食べる。ちょっと甘すぎるが,おいしい。特に皮の部分は普通のと異なり,カステラ風である。瞬く間に3つ食べてしまうが,少食の私にはさすがに多い。ここを12:50に発ち,13:08銚子駅に戻る。ホームには列車がいるので,早速乗る。

 千葉行普通列車は13:15定刻通りに発車する。乗客数は座席の1/3程度の埋まり方である。 14:02佐原駅着。鹿島神宮行普通列車は既に入線しているので,早速乗る。3両編成のロングシート車で,座席の2/3は埋まっている。14:10発車する。利根川等の川を3本程渡るが,残念ながら水郷らしいものは見えない。線路からは遠いのであろうか。遠くに大きな水たまりが見えるので,こりゃあ「霞が浦」か,いつも常磐線側からなので,東側からは見たことは無いなあと思っていると,その一部にかかった鉄橋を渡り, 14:32鹿島神宮駅に着く(なお,後でガイドブックを見ると,これは「霞が浦」ではなく「北浦」でした)。私は知らなかったが,ここより鹿島臨海鉄道にて,水戸駅まで行けるのだそうで,少しの待ち合わせでその列車は発車する。それにしても,私は日本全国のJRの線に乗ることを目標にしているが,この鹿島線は乗ったことがなかったので,今回,これで,この線は乗ったことになる。

 駅を出て道標に従ってレンガ張りの坂道を進む。湧き水が豊富なのか,大量の水が脇の溝を流れている。途中,湧き出しているように見える場所まである。レンガの歩道が終わり,左に曲がると,土産品店が並び,その奥には鹿島神宮の大鳥居が見える。この通りは広く,また,歩道も広いが,なぜか,歩道は砂利が敷いてあるだけで,その上,車の駐車場となっている。ううん,このあたりでは東京の常識とは異なり,歩道とは人が歩く場所ではなく,駐車場という意味だったのかと思う。そういえば,先程歩いた銚子でも,歩道に白い線がひいてあり,そこには車が沢山停まっていたので,もしかして,東京とは異なるのかもしれないと思う。

 14:43鹿島神宮の石の大鳥居の前に着く。そのそばに地図があったので見ると,やはりここは駅から見えた大きな森の中である。周りに背が高く太い木が沢山道を進むと,割と新しく見える赤い総門があり(中には2体の像がありました),それをくぐって進むと,本殿に達する。ここがこの神社の中心である筈であるが,意外に小さく,また,質素である。ただし,その裏は立派な建物(日光風です)である。更に,周りに大きな木のある道を進む。それにしても,ここはりっぱな木ばかりである。直径1mあろうかと思うような木がずらりと並んでいる。正しく「鹿島の森」である。今は夏の盛りなので,「ツクツクツク」というセミの声が騒さいほど聞こえる。鹿園があり更に進むと,道は2つに分かれ,右に行くと「要石」(土の上に先端だけ見えるだけです。ただし,地中には大きな部分があるようです),左に行くと「御手洗い池」(こちら単に湧き出た水が池になっているだけです)となるが,いずれもガッカリするものである。結局のところ,この神社は建物より,木の立派さに見とれる場所であると思う。これ程太い木が大量に残っている場所は,日本全国を探してもそうは無いと思う。

 15:29ここを発つ。先程見た地図にて,レンガ通りは大幅な遠回りの道だと気が付いたので,今度は神社からすぐ出た所を右に曲がった暗く細い道を進むと,階段があり,それを下るとようやっと明るくなり,そのまま進むと 15:35に鹿島神宮駅に戻る。やはり,この道が正解であり,駅からの案内を神社前の売店用にしなければ,もっと早く行けるのにと思う。折り返し千葉行となる列車が入線してきたようなので, 16:00改札を通る。

 列車は先程と同様に3両編成であるが,ボックス席がある近郊型である。私が乗った先頭車両は15名程を乗せて, 15:17に発車する。ガイドブックを読んだので,潮来駅で進行方向右側に目を凝らすと,すぐそばの小さな川を渡る橋が鉄ではあるが,円みたいな形であることを見つける。また,川を渡る鉄橋より,ああ,あの民家が沢山ある辺が水郷の中心地帯である「十二橋」かと思う。ようやっと 17:44千葉駅に着く。空は雨が降るような感じの暗さとなっている。8番線ホームに行き, 17:48に入線して来た久里浜行快速列車に乗る。特急通過待ち合わせとのことで,どうやらここで10分程停まるらしい。2本の特急に抜かれて 17:58ようやっと発車する。先程より雨が降りだしたようだ。傘をさしている人が結構いる。18:38東京駅に着き,山手線にて,家に19:02に帰る。

 下の左側は1997.8.30,右側は1999.8.12に撮影したものです。右側中央の仏像は,1997.8にはカメラ位置よりずっと後方にあるお堂の中にあったと思います。


第28番 滑川山 龍正院[千葉県 JR成田線・滑河駅より徒歩]

1997年8月30日(土)
 第19番大谷寺,第13番浅草寺についで,第3回目として,青春18キップの残った最後を使用して,第28番龍正院(滑河観音)及び第27番円福寺(飯沼観音)に行ってきました。

 滑川観音は,成田線滑河駅より 1.5km位の所にあるので,土日に出ている「ホリデー快速鹿島神宮行」(成田駅までは快速成田空港行とつながっているが,成田駅にて切り離されます)にて,滑河駅(9:49着)で下り(列車は,夏休み最後の土曜日ということか,座席の1/4程度しか埋まっていませんでした),そこより,徒歩12分程で着く。

 大きく立派で,茅拭きの屋根の,太い締縄が張ってある山門(門の両側には仁王像と思われる木像が2体入っていました),その圧倒的な力感には圧倒されるものがある。観音様が安置されている大きなお堂は,かなりはげているが,朱色に塗られているほぼ正方形の木造で,瓦拭きの屋根で覆われており,正面上部には馬の彫刻が2体飾られている。3つの欄間には天女の彫刻が施されている。境内には太い松が1本と,何の木かわからないが,樹齢千年位はあるのではないかとおもわれるような木が1本おい茂っている。ともかく,ちょっと殺風景な感じはするが,あまり期待していなかっただけに,山門と本堂の立派さには驚かされる。

 本日は,一眼レフカメラの電池を忘れるという失敗をやってしまったため,あまり長時間いてもしょうがないので,デジタルカメラDC20で撮影後,駅に直ちに戻り,次の予定の第27番飯沼山円福寺に行くために,銚子行列車に乗る。



第29番 海上山 千葉寺[千葉県 JR内房線・本千葉駅より徒歩]

1997年11月3日(土)
 第30番平野山高蔵寺に行った後,木更津駅に戻り、11:40木更津駅発千葉行普通列車に乗り,12:17本千葉駅着着。ここより,東側に出て木更津方面に進み,12:33千葉寺着。

 山門は仁王像が2体入っている立派なものだが,何と,本堂は鉄筋コンクリート造りでガッカリである。こんな風になるのだったら,まだ,もっと小さな祠程度の大きさでよいから木造の方が遥かにましである。しかしながら,納経所は昔の本堂なのであろうか,木造である。現在みたいなことをしなくて,この納経所を本堂にした方がよほどよいと思う。それにしても,この建物のせいであろうか,人気のない寺である。いるのは私のほかに2組だけという寂しさである。

 庭には幹の直径3mはあろうかという銀杏の大木がある。不思議なことにその幹は枝の関係からか下の方よりは上の方が太くなっている。この木はいわば,この寺の主といったところであろうか。ともかく,立派なすごい木である。その枝振りもすごい。ともかく,あたり一面を覆っている。しかしながら,黄葉にはやや早く,やや,黄色がかっている程度である。12:50ここを発ち,同じ道を歩いて 13:06本千葉駅に戻る。



第30番 平野山 高蔵寺[千葉県 JR内房線・木更津駅より小櫃行バス・高蔵バス停・徒歩]

1997年11月3日(土)
 11/3(土),先週にひき続き,坂東33観音札所巡りの第8回目として,木更津の第30番平野山高蔵寺,千葉の第29番海上山千葉寺,岩槻の第12番華林山慈恩寺に行ってきました。本日も天気はまあまあの状態でした。

 錦糸町駅8:13発成田空港行快速列車に乗り,千葉駅8:46着。これより9:00発木更津行普通列車に乗り替え,木更津駅9:40着。バスに乗るつもりであったが,どうも1時間は待たねばならないようだったので,鉄道及び路線バスという私の主義に反するが,タクシーに乗ることとし,10:12高蔵寺着。私にとっては3060円もの痛い出費である。途中,コスモス畑が幾つか見えたので,帰りに寄っていくことにする。

 大きく立派な山門の前の駐車場には坂東33観音巡礼らしい貸切バスが1台駐車しており,白い着物の巡礼姿の人達が多数境内及び山門付近にいる。しかしながら,自家用車は1,2台しか停まっていないので,この団体が行ってしまえば,人のことは気にせずに撮影できると安心する。

 山門を通って境内に入るが,この寺の本堂は大きいことは大きいが,非常に荒れた感じである。屋根はおそらく昔は茅拭きであったのであろうが,現在は何と黒いトタン拭きである。このため,檜わだ拭きにするために,現在は2億円の寄付を求める大きな看板が立っている。また,本堂自体は,この寺の名称「高蔵」寺に示されているように,高床式の建物で,地面と床の間が2m程あり,使われている柱も直径50cmの太いもので,それがそれこそ2m四方ごとにある(高床式のために,これらの縁の下の太い柱は外から丸見えです)。しかしながら,全体から言って,手入れは全くしていないのではないかと思える程,非常に荒れている。

 その上,山門付近から本堂を見ると,「寄付求む」の宣伝看板が建物の半分を隠しているのではないかと思うほど大きいので,これを隠すには,斜め前あるいは横からの撮影しかないのだが,建物が大きい割に庭が狭いので,中々建物全体を入れて撮影することは難しい(持参しているのは,デジタルカメラDC20とコンパクトカメラBig-miniだけです)。

 境内はそれほど広くはなく,本堂の後は裏山みたくなっている。向かって右奥には住職達が住んでいる庫裡があるが,ここが一番綺麗であり,また,小さいながらも日本庭園風の庭もある。

 デジタルカメラDC20で8枚撮りきってしまったので,HP-100LXへ画像を転送していると,先程の白い巡礼姿の1人が「それはカシオペアですか」と聞いてくる。「いいえ,HP-100LXです」と答える。

  10:45ここを発つ。とりあえず,バス停まで行くことにするが,途中,先程のタクシーから見たコスモス畑3ケ所の撮影を行う。ここは休耕田なのであろうか。ともかく,コスモスが田んぼ一杯に満開に咲いている。更に進み,背が20mはあろうかと思われるような非常に高く橙色の実が沢山なっている柿の木のある家の前の上総農園バス停に11:10に着く。勿論,この柿の木は撮影する。書かれている時刻表を見ると 11:19発の木更津駅南口行バスがあることがわかったので,少し待って,ほぼ時間通りに来たバスに乗り,11:37木更津駅に着く。バス代は 480円で,先程のタクシー代と比較すると,約1/6である。



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