グスタフ・マーラー,マーラー,gustav mahler,Gustav
Mahler,matsumo,matsumo2,matsumoto,matumoto
English Japanese
マーラーに関する有名な話として,マーラーとアルマがうまくいかなくなった時に,夢分析で有名になったフロイトの診断を受け,その際,フロイトより,「あなたはアルマに自分の母親を求めており,母親のように老けさせようとしているのだ」といった趣旨の指摘を受け,非常なショックを受けたそうです。どうもマーラーはマザー・コンプレックだったらしく,彼がアルマ・シントラーと結婚した後はアルマの母を自分の母親のように思っていたそうです。
また,小さい頃は家が貧乏だったためか,指揮者になってお金をかせぐようになってからは,弟や妹の生活の面倒をみていたようです(妹のユスティーヌはマーラーが結婚するまでずっと独身でマーラーの世話をしていました)。
マーラーには2人の娘がいましたが,長女(マリア)の誕生後「亡き子をしのぶ歌」を作曲し,その後に彼女がジフテリアで亡くなってしまった話は有名ですが,次女(アンナ)の方は生きながらえ,彫刻家にもなりました。しかしながら,彼女は彼女の母であるアルマと同様に男出入りが激しかったらしく,3回は結婚したようです。
マーラーが結婚したのは40歳と遅かったのですが,勿論,それまでには何人か恋人がいたわけで,その中では,後にワーグナー歌手となった歌手「アンア・フォン・ミルデンブルグ」が有名で,恋愛関係が終了した後でも,仕事上ではずうっと続いていたそうです。また,バイオリニストの「ナターリエ・バウアー・レヒナー」もアルマとの恋愛関係が始まるまでは親密な友人だったようで,彼女はマーラーに関する回想録「グスタフ・マーラーの想い出」を出しており,和訳もされています。
<母・妹・義母>
マーラーの母親マリー・マーラー |
マーラーと妹ユスティーネ(1890頃) |
マーラーの義母アンナ・モル カール・モル作。アンマはアルマの実母で,マーラーとアルマの結婚後はマーラーの「代理母」となった。 |
<マーラーの娘達>
マーラーの長女マリア 「亡き子をしのぶ歌」の作曲後の1907年にジフテリアで死亡した。 |
マーラーと長女マリア マイアーニックにて |
マーラーと娘達 左:長女マリア・アンナ 右:次女アンナ・ユスティーナ |
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マーラーの次女アンナ・ユスティーネ(1930頃) | - | - |
マーラーと次女アンナ(1909年) トーラバッハにて |
次女アンナ・ユスティーヌ(1948年) ロンドンのアトリエにて(彼女は彫刻家となった) |
<アンナ・フォン・ミルデンブルグ:若い時の恋人>
アンナ・フォン・ミルデンブルグ(歌手) ハンブルグ歌劇場の歌手でマーラーの恋人。ウィーン宮廷歌劇場でも良き協力者であった。 |
アンナ・フォン・ミルデンブルグ(歌手) フランツ・マッチュ油絵(イゾルデの扮装) |
アンナ・フォン・ミルデンブルグ(歌手) ブリュンヒルデの扮装 |
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アンナ・フォン・ミルデンブルグ(歌手) ブリュンヒルデの扮装 |
アンナ・フォン・ミルデンブルグ (歌手)(1903年) イゾルデの扮装 |
アンナ・フォン・ミルデンブルグ(歌手) ブリュンヒルデの扮装 |
<歌手・演奏家>
ビアンカ・ビアンキ(歌手) ハンブルグ歌劇場の歌手。「若き日の歌」中の3曲を初演 |
ゼルマ・クルツ(歌手)(1906) ウィーン宮廷歌劇場の歌手。 |
ゼルマ・クルツ(歌手) ジョン・クインシー・アダムスの油絵 |
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ナターリエ・バウアー・レヒナー バイオリニストで,マーラーが結婚するまでの友人 |
ローザ・パピーア(歌手) ウィーン宮廷歌劇場の歌手。 |
ラウラ・ヒルゲルマン(歌手) カルメンに扮している |
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マリー・グートハイル・シェーダー(歌手) | ハウベルグ・ラステイン(歌手)とエンマ(1894) | - |
ソルダート・レーガー弦楽四重奏団 左端がナターリェ・バウアー・レヒナー。ステロ印刷 |
ゼルマ・クルツ(歌手) ウィーン宮廷歌劇場の歌手。 |
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